ぬうん通信

ぬうん通信 vol.122 (2022.7.11.Mon)

シリーズ「魔海奇譚」より

「海には魔物がいる。」多くの人間はこの言葉の本当の意味を知らずに生きている。けれど、妖(あやかし)はどんな海にも棲んでいて、おまえの背後から呪わしい視線を送っているのだ。

シリーズ「魔海奇譚」より

本日のぬうん通信では、これから始まる海水浴シーズンに先駆けて、背筋も凍る人気シリーズより新作をお届けする。

(以前、一部のうんにLINEにて配信したものを加筆修正したものです。)

『第五十二海域』

これはつい先ごろ私が経験した嘘のような本当の魚話です。少し長くなりますがどうか最後までこの話を聞いてください。

序章 「遺言」

 十数年前に亡くなった父はいくつかの遺言を遺していきました。「卵を食べる時は、必ず黄身に付いている白い紐のようなもの (カラザと呼ぶらしいですが)を取るように」とか、「錦糸町は人の住むような土地ではないから絶対に居を構えてはならない」とか。中でも、印象深かったのが、病床の父が苦しそうに低い声で歌ったあの歌です。「亀のとびらをひりゃかんせ、星のくず浮く海ありて、おじじもおばばも遊んじょる。おじじの手打ちもおばばのまなこもあなこわや。かえりみすれば来た路いずこへ消えたのか」気味の悪いわらべうたのような歌を歌い終わると、父は「決して近寄るなよ」とだけ言い、それ以上は何も言いませんでした。歌に出てくる「亀のとびら」という歌詞がどこの地名を指しているのかだけはなんとなく想像がついたので、その街には近寄らないようにしていました。

 父の存在は今でも大きいものですが、それでも、カラザには発毛に役立つ栄養が含まれているという新しい研究結果や、錦糸町も小綺麗になり治安が改善したことなどもあり、父の遺言については少しずつ私の中でその絶対性が揺らいでいきました。

 そんな事情もあり、私は完全なる興味本位で、まったく無垢な好奇心で、父の遺言を破り、あのわらべうたにあった「亀のとびら」が示していると思われる町へと向かったのでした。何もないだろうと高をくくっていたのも束の間、すぐにわらべうたの詩に出てくる「星のくず浮く海」らしきものを見つけてしまいました。まったく信じていなかったわらべうたの詩の内容が今こうして目の前に広がっていると思うとうっすらと冷や汗が浮いてくるのを感じました。

 とはいえ、この時はわらべうたのことなんてうっすらとしか覚えていませんでしたし、この海がどうなっているのかを確かめたい気持ちのほうが恐怖心よりもはるかに強いものでした。そこで私はこの海に一歩足を踏み入れることに決めました。すると、そこには他では感じることのない独特のすえた雰囲気が漂っていました。星のくずなどどこにも浮かんではいません。しかし、私はこのごろ寝る間も惜しんで、反社会的な宗教団体に潜入する公安ドラマを観ているので、これくらいでは怯みません。潜入捜査官のあの男のことを思い出すと、単なる好奇心は、徐々に使命感へと変わっていきました。私がやるしかない、のだと。

第二章 「呪詛」

 私は勇気と使命感を持って、広がるいくつもの海域の中から『第五十海域』と看板の立てられた海域を選んで泳ぐことに決めました。しばらく遊泳を続けていると、その異様さに嫌でも気づかされました。その異様さが何によるものなのかがわかるまでにさして時間はかかりませんでした。

 そう、この海には、たしかに、間違いなく、たくさんの、おびただしい数の、「彼ら」がいるのです。まだ近くの海域にはいないようですが、時おり、バシン、バシンと強く何かを叩く音が聞こえます。この音が「彼ら」の存在を如実に表しています。1発だけ破裂音のような爆音が聞こえる時もあれば、何かを激しく殴打しているのか、常軌を逸した打撃音が聞こえる時もあり、音がするたびに私の体はビクッと震えざるを得ないのでした。

 そして、私を震撼させたあの音が聞こえたのは、何回目かの打撃音が止み、この海を不気味な静けさが包み込んだ時でした。私の周囲の海域にはたしかに誰もいないはずなのに、しかしまるで耳元で囁かれているように近くで、

「泡が出ないの、泡が出ないのよぉ」

という老婆のうわごとのような声が聞こえたのです。その声を聞いた瞬間、私の頭に一つの映像が映し出されました。暗い部屋の黒い壁に半紙が貼り付けてあり、そこに少しずつ墨で書いた文字が浮かび上がってくるのです。その言葉が完成した時、それがホラー映画でしか目にしたことのない「呪詛」という言葉なのだとわかって、私はゾッと鳥肌が立つのを感じました。けれど、これはホラー映画などではなく現実なのです。

 泡が出ないとどうなってしまうのか、私にはまったく想像もつきませんが、きっととてつもなく恐ろしい目に遭うに違いないと思い、ズボンで拭いても拭いても手の汗は湧き出てくるのでした。

 それでも、幸か不幸か私をまだこの海にとどめてくれたのは、公安ドラマに出てきたあの男がくれた勇気でした。

最終章 「理(ことわり)」

 呪詛にも慣れ始めた頃、ついに「彼ら」が私の近くで泳ぎ始めたのを感じました。おそるおそる周りを見回すと、あちらの浜にもこちらの浜にも一見ゴミなのか飲みかけなのかわからないペットボトルがいくつも置いてあります。しかし、それらが間違いなく「彼ら」のものだとわかるのは、そのペットボトルに貼られているラベルが「特茶」だからです。「特茶」は「彼ら」が好んで口にするもので、それを利用して自分の縄張りを主張しているのでした。本来、海では複数の海域をまたがる遊泳は禁じられていますが、「彼ら」に我々の論理は通じるはずもなく、私はただこの時間が過ぎゆくのを祈るような気持ちで待っていました。

 すると、私の泳いでいる海域に魚の群れが発生して、紫のサメが姿を現しました。サメは他の地域の海では得られないほど多くの銀色の玉を吐き出しました。この海に「彼ら」がたむろうのは、星浮く海のこの豊穣さによるものだということがわかりました。その後、サメは青い海を緑色に染めると静かに去っていきました。しかし、驚いたのはその海の恵みによってではありません。サメが玉を吐き出している間に、2メートルほど右に離れた「第五十二海域」で泳いでいた「彼ら」のうちの1人がおもむろに私の背後にやって来て、世にも恐ろしい眼でこちらを見ているではありませんか。何をされるのか不安でしたが、しばらくこちらを見つめると何やら安心したような顔で元の海に帰って行ったのです。私は海面に映るその姿に身の毛がよだつのを感じ、一刻も早く、この海域を離脱する!と決意しますが、緑色になった海に今度はエメラルドグリーンのジュゴンが現れ、さっきよりも多くの玉を吐き出し、私を帰してくれません。この銀色の玉がないと私は生きていかれないので嬉しいことは嬉しいのですが、この時ばかりはそうではありませんでした。

 しばらく身を縮めるようにして玉が吐き出されるのを見ていました。すると、またさっきの「第五十二海域」から、「わっ!」という声が聞こえました。どうやら、あちらにも魚が現れたようです。これでこっちも少しは安心だと思うや否や、その海域から、私の背後にある「第十五海域」のあたりに向かってけたたましい叫び声が響きました。

「だめよっ!マンボウだもん!マンボウ!」

 この言葉を聞いた瞬間、私は大急ぎでこの星浮く海から陸に上がり、我を忘れて帰りました。来た道をどうやって帰ったのかもまったく記憶にありません。どうかこれが悪い夢であって欲しいと願いましたが、これを書いている今もどうやら夢は覚めていません。

 以上が、私の経験した出来事の全てです。私たちの知る理とは違う理で動く者たちを私たちは「妖怪」と呼んでいます。あの時あの第五十二海域で「マンボウだもん!」と叫んだあの妖怪の目には、いったい何が映っていたのでしょう。きっと私たちには及びもつかない光景が見えていたのでしょう。少なくとも、私の論理が知っている海に、マンボウはいないのですから。

「亀のとびらの手毬唄」

この作品に関連して、ぬうん通信編集部では、作中に登場するわらべうたらしき唄がyoutubeにアップされているのを発見した。なお、いつ誰がどんな目的でこの唄を作り、そしていったい誰がこれを歌って全世界に公開しているのかはまったくわかっていない。

いったい誰が何の目的でこの歌をyoutubeで配信しているのだろうか・・・?


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