ぬうん通信

ぬうん通信 vol.106 (2021.1.7.Fri)

うんまちゃんも登場!ぬうん通信をにぎわすオールスターが大集合!

昨年、ぬうん通信を大いににぎわせた面々が年始の挨拶をすべく大集合してくれたぞ!

2021年2回目のぬうん通信では、「ぬうん通信オールスターズ」たちに昨年の振り返りと今年の抱負を語ってもらった。

うんまちゃん「銚子のおかみさん・・・」

©にしむらゆうじ

まずは言わずと知れた超人気うんまちゃん「うんまちゃん」の登場だ!

明けましておめでとごじゃいます!うんまです。

去年は、風になったり漁師になったり醤油職人になったり占い師になったり家が燃やされたり、いろんなことがありました。中でも思い出に残っているのは、銚子のおかみさんが毎日うんまの獲ってきた魚を料理して食べさしてくれたことです。おかみさんに出会えてとてもよかったです。

今年やりたいことは、新しくなったうんまんじゅうをたくさん売りつけてコーシューニューになることですっ!みなさん、うんランドに来てうんまんじゅうをいっぱい買ってください!

食べ歩き用・お土産用・お中元用・お歳暮用・お供え用、いろんなシーンでうんまんじゅうが喜ばれています!

うんま~い!

角刈り連中 「忘れないで欲しい・・・」

角刈りの面々に個別に話を聞いていくのはめんどうだったので、角刈りの一人に話を聞いた。その角刈りが誰だったかは失念してしまったのであしからず。

明けましておめでとうございます。

(中略)

我々のことを忘れないで欲しいと思っています。

ふんすけふんふん斎先生 「畢竟ずるに我ら入不二でもって路を辿らば・・・」

今年も深慮なる賢者ふんすけふんふん斎先生の深い考えに触れていきたいものである。

『門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし』(一休宗純)

私は正月になると必ず一休上人のこの狂歌を口にする。めでたき新年ですら死と繋がっているという真理を歌っているのも素晴らしいが、世間が手放しで喜ぶ新年を「めでたくもなし」と打ち据えるその斜に構えた様が、いかにも一休上人らしくて気に入っている。

しかし、改めて歩を留めて心を逡巡せしめれば、「斜に構える」とは一体いかなる態度のことなのか解らなくなってくる。

一般的には、「物事の表面のみを見るのではなく、異なる角度でもってその物事の真理を探る態度」として考えられている。しかし、それは同時に「物事を正面から見ずに穿(うが)った視点で見ること」でもあり、やはり真理は物事と正対して見るべきだという気もする。

「斜に構える」ことと「正対に構える」ことのどちらがより正しい見方なのだろうか、と、餅を口と箸でもって伸ばしながら考えていたところ、茶色く濁った雑煮を彩る菊花の如く一つの考えが鮮やかに浮かび上がった。 (怜悧(れいり)な頭脳の持ち主だと私をもてはやしてくださる方もいらっしゃるが、明晰な考えが浮かぶのは座して黙考している時よりも、実はかような何気ない刹那ばかりなのである。)

実はこの二つの構えは同じことを表しているのではないか。我々は当然のように、物事には表と裏があると考えている。しかし、斜に構えて物事の両面を見ることによって表裏という図式は消え去る。また、正対して表のみを徹底した目で見つめることによって裏は視界から消え去り、表のみがあることになる。正対して見える表はもはや単なる表ではなく、言わば裏を含んだ表であり、表裏は一体化して共に消え去った。

ここにおいて、表と裏という二つの対立が雲散霧消し、「二ならず」すなわち「不二」の状態に入ることとなる。物事はこの不二の状態で見つめて初めてその真理を露わにする。

禅の世界ではかような対立を溶解し不二の状態になることを「入不二(いりふじ)」といい、「表と裏」に限らず「上と下」「右と左」「男と女」「善と悪」「幸と不幸」「生と死」など、あらゆる二項対立を灰塵に帰すことで真理が立ち現れると考えられている。

畢竟ずるに我ら入不二でもって路を辿らば、ウンハトオヴへの帰郷も叶うのではないか、そんなことを考えた正月であった。

まとめ

今年になっても、オールスターズは大活躍してくれるだろう。

ぬうん通信では、その一挙手一投足を追いかけていくつもりだ!

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